平成最後のありがとう

先日、

渋谷でこんなイベントがあったので、

便乗してきました。

平成は、

私の人生にとって

大きな大きな30年4ヵ月でした。

平成元年2月

株式会社ナンバーワンプロモーションを設立。

当時、24歳。

夢と情熱と勢いだけで、

会社を設立して、

いきなり社長になりました。

私の事を心配した友人が、

超有名な占い師さんを紹介してくれて、

診て貰ったのですが、

「先行きは、かなり厳しいと思う。もしかしたら、この会社の名前があなたを助けてくれるかもしれない。」

との事でした。

当時、

そんな話しに

聞く耳を持ち合わせていなかった私ですが、

今にして思えば、

ホントその通りでした。

私の理念や、

会社の方向性に夢を感じてくれた

仲間やスタッフが

どんどん集まってくれたのです。

うちの会社は、

業界内で、

みるみる頭角を現して行きました。

そして、

設立4年目にして、

大手に負けないだけの実績を積む事が出来たのです。

現在は、

スポーツトレーナーとして、

全く違う道を歩いていますので、

トレーナーとしての私とお付き合いが始まった方々には、

知る由もない過去ですね。

今のトレーナーとしての活動や生活は、

オマケ?

老後の楽しみのような感じです。

スポーツ選手などは、

第二の人生という言葉を使いますね。

スポーツトレーナーになってからは、

会社は休業状態にしていましたが、

たたまずにずっとキープしていました。

「もしかしたら、

いつの日かまた、

この世界に戻るかもしれない!」

心の中に、

そんな思いがあったからです。

その想いも

時間と共に変わって来ました。

自分の人生の中で、

体力や気力が充実した時期を、

夢に向かって全力で駆け抜け、

やり遂げた!

という感が大きかったのです。

“やり残したことはない!”

心残りも未練もない事に

気付きました。

そして、

時代が《平成》から《令和》に変わる、

節目の年。

思い切って、

区切りをつける事にしました。

平成31年2月10日、

解散の登記をしました。

平成という時代と共に走り抜けた30年。

株式会社ナンバーワンプロモーションは、

我が家でもあり、

大きな船でもありました。

解散登記が済んだ時、

自分の分身を失うような、淋しさが込み上げました。

そして、

こんな不甲斐ない社長のもとに集まり、

支えてくれたメンバー一人一人の顔が、

走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。

みんなに支えられて

一緒にやって来た事を、

私は一生忘れません。

みんな、元気にしているか〜?

人生は人それぞれ様々だけど、

みんな各々の道で、

元気に頑張ってほしい!

最後に、

元社長から、

感謝を込めて!

「みんな、本当にありがとう!」

プロ野球こそ人生の糧

現在、プロ野球の世界で、戦力外通告を受ける選手は、毎年120名くらいいるそうです。

もちろん、スポーツ選手に引退の時期は必ずやってきます。

充分に納得いくまで選手生活を送り晴れてユニフォームを脱ぐ選手や、傷害などで選手生命が断たれてしまった選手。

年齢とともに体力が衰え引退した選手。激しい競争に敗れ、戦力外通告を受けて引退した選手と様々です。

引退した選手は、その後の人生を歩み始めますが、その道も様々です。

現役のスポーツ選手時代よりやり甲斐のある仕事に就き、充実した毎日を過ごしている方もいます。

今日は、2006年高校生ドラフト4位で横浜DeNAベイスターズに入団し、12年に戦力外通告を受け引退。現在は企業のマネジメントコーチやライター、アナリストとして活躍されている高森勇旗さんの出版記念講演会に行って参りました。

今まで、様々な業界で様々な方の講演会を拝聴して来ましたが、この講演会は本当に素晴らしかったです。

この書籍には、引退された22名の方へのインタビューが載っているのですが、その中でも紹介されている3名の方がゲストスピーカーとして登壇されました。

GG佐藤さん。

2003年ドラフト7巡目で西武ライオンズに入団。

2008年北京五輪で日本代表を務める。

準決勝の韓国戦で敗戦に繋がるエラーは記憶にも新しい。

佐野慈紀さん。

1990年ドラフト3位で近鉄バッファローズに入団。

96年のオフには契約更改で中継ぎ投手初となる1億円プレイヤーになる。

石井琢朗さん

1989年ドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。

2006年には2000本安打を達成。

2012年に引退。

今年からヤクルトスワローズの打撃コーチに就任。

以上の登壇者で繰り広げられるトークは本当に興味深く、あっという間に2時間が過ぎて行きました。

①プロ野球選手になって初めてキャンプに参加した時に驚いた事。

②一流選手になる為に何を行なって来たか!

③戦力外通告を受けた時の状況

④今後の展望

こんな流れでトークが炸裂しました。

佐野慈紀さんは、近鉄時代の同僚の野茂英雄投手の話しをされていました。

また引退する時に、仰木監督から「お前は他人の話しを聞かないから、これからは他人の話しをよく聞きなさい。」と声をかけられたそうです。

その言葉があって、今の人生があるそうです。

現在、建築業で測量の会社を経営されているG.G.佐藤さん。会社には7名の元プロ野球選手が働いているそうです。

毎年、120名のプロ野球選手が戦力外通告を受け第二の人生を歩みますが、全員を受け入れられて選手時代とはまた違ったやり甲斐を与えられる会社にしたいという情熱を語られていました。

横浜で輝かしい活躍をされた石井琢朗さん。

やはり、一流の選手になるには練習しかない。

プライドや意地はとても大切だけど、ベテランになればなるほどプライドが高くなり、甘えや妥協が出てくる。と仰っていました。

これは佐野慈紀さんやG.G.佐藤さんも同意見でした。

私も日頃感じているスポーツ業界全体の問題点に通じる部分なども話題に上がりました。

スポーツ選手に限らず、社会人や学生にも聞いて頂きたい素晴らしい内容の講演会でした。

これからも皆さんの人生がより良くなるよう祈念しています。

夢をありがとう

今日、男子バドミントン日本B代表・佐伯祐行選手(日本ユニシス所属)から電話があった。

11/29〜12/4

全日本総合バドミントン選手権大会(代々木第二体育館)での結果報告だった。

「今回、納得できる試合が出来ました。今まで、齋藤先生には本当にお世話になりました。有り難うございました。」


これは、試合の結果というよりは、引退の挨拶だったような気がする。

年齢的な事もあり、前々から今回の大会で優勝して日本代表にならない限りは、引退を余儀無くされるという話しは聞いていた。

詳しいことは定かではない。

佐伯選手の事を知らない方も多いと思うので記しておきます。

人間的にも素晴らしい選手です。


佐伯選手と出会ったのは、2014年。

体調が悪くなると、しばしばコンディショニングに訪れていた。


それから、彼をサポートしての二年間は、佐伯選手にとって、崖っ淵の試練の連続でした。

彼が引退を決めた今、心からお疲れ様でした!と伝えたい。

もうしばらくすると、この日本代表Bメンバーから消えてしまうのでしょう。


短い期間でしたが、佐伯祐行選手をサポートできた事は、私の誇りです。


たくさんの涙を見て来ました。

たくさんの笑顔も見て来ました。


もう、こうやって試合会場できたテーピングする事もないのかと思うと淋しい気持ちにもなりますが、激戦の連続で、酷使して来た体も少し休めて欲しいと思います。


佐伯選手が、どの様な人生を歩いて行くのかわかりませんが、持ち前の明るさを忘れずに頑張って下さい。

選手生活、本当にお疲れ様でした?

方向性が決まったら教えて下さいね。

これからどこに向かおうと選手として続けようと、応援しています。

夢を有り難う!

第二の人生に乾杯です。