“アル中”の処方箋

サンティアゴから帰って来て、

ちょうど1ヶ月が経ちました。

今回は、

総勢15名での巡礼の旅だったのですが、

寒さにも雨にも負けず、

同じ道のりを12日間、

一緒に歩いた皆さんとは、

とても仲良くなりました。

メンバーは、

成田組と関空組がいて

アムステルダム空港で合流して、

帰りもアムステルダム空港でお別れしました。

私は東京在住なので、

なかなか関西組の皆さんとは、

お会いするのが難しいのですが、

今月は大阪出張があり、

帰りにお会いすることができました。

18日(月)

新大阪駅まで、

良子師匠とフジモリ大統領が来てくださり、

スペイン料理屋でサンティアゴの思い出話しに花を咲かせました。

呼び名はいずれも現地でついた愛称です。

ししとうの素揚げ!

これがスペインでも

美味しかったんです!

そして、本日、

第二回 アル中会!

なんと、さらにメンバーが増えて、

5名になりました。

サンティアゴの思い出話もさることながら、

「次は、どこへ行くの?」

みたいな話題で

盛り上がっていました。

みんなアル中ですから(^^)

あっ、

アル中とは、

「アルコール中毒」の略ではありません。

「歩き中毒」です!

「お金払って、こんな苦しい思いをするの、ちょっと頭おかしいよね!」

なんて、笑いながら

あっという間の4時間半。

もう末期症状で、

残念ながら

この病気は現代医学では治せません。

しろたん!これからもヨロシクね^ ^

昨年7月、

クモ膜下出血で倒れ、

幸い一命は取り留めたものの、

コーマの状態になってしまった方と

ご縁を頂きました。

 

急性期を終え、

リハビリ病院に移った昨年10月からパーソナルを開始しました。

時の経つのは早く、

半年が過ぎ、

今日で病院でのリハビリは終了、

明日からは老健に移ってリハビリを続けていきます。

あっと言う間の半年間でしたが、

その間、

ご本人もご家族も本当に頑張りました!

その現場に携わりながら、

医療に関わる方々の人間性や、

医療機関、医療制度に関する問題点に直面することになった半年でもありました。

【備忘録】

最初のセッションは、

10月28日。

初めてお会いした時は、目も開かず、こちらの呼び掛けにも、ハッキリとした反応はなく、右手の指が微細に動いていましたが、それが自分の意思で動かせているのかは定かではない状態でした。

かなり厳しい状況かなと思ったのですが、

クモ膜下で倒れる前の状況、その当時の精神的苦痛や心労をねぎらう言葉をかけた時に、大粒の涙が溢れ泣かれました。

この涙は、あくびなどの反射で出るものとは明らかに違うものでしたので、確実に、こちら側の声は聞こえている事が確認できました。

それ以降、微かですが、指先なども、こちらの指示に反応して動くようになっていき、目を開ける事も徐々に多くなっていきました。

ところが、

3週間すぎた時に、主治医が、

「3週間ほど様子を見ましたが回復の見込みは0%ですので、家で見るならその準備、もしくは施設を探す検討に入ってください。」との事。

ご家族が、回復の兆しはあると説明しても

「ただの反応です!意識はもどりません!寝たきりになります!やるだけ無駄です。」

と、ただ追い出したいだけの様子。

看護師も、人手不足で疲労困憊しているせいか、実務を機械的にこなしているだけで、患者の微細な反応や、意思を伝えようとするアクションに気付く余裕は全くない状況。

医師も看護師も、やるだけ無駄と言う環境でリハビリを続けて行くのは、本当に厳しい状況でした。

しかし、そんなアウエーな状況でも、諦めずに闘っていたご本人とご家族の頑張りが、大きな奇跡を起こすことになりました。

スマホで、可愛がっていた“しろたん”の画像を見せた時に、大きく反応が出ました!

それからは、お留守番していた“しろたん部隊”も出動して、一緒にリハビリのお手伝いをしてくれました。

セッションの時に、

「とにかく大きなアクションで、誰が見ても“明らかに回復して来ている”と認識できるように大きく動かしてね!」

と、いつも伝えていたのですが、

明らかに、手に力が入るようになったり、痛い時には眉間にシワを寄せて意思表示をしたり、時おり声も出るようにもなりました。

これには、直接リハビリを担当している理学療法士や作業療法士が、回復を認め始め、リハビリも前向きに行って貰えるようになりました。

そして、その結果、すぐにでも追い出そうとしていた病院が、2ヶ月、入院期間の延長を決めました。

ここで、普通だったら主治医から

「希望が見えて来ましたね!諦めずに頑張りましょう!」

的な言葉があっても良いのですが、

全く逆で、

「過度な期待はしないでくださいね。もはや医学の限界です。」などと

家族に対して冷たい言葉が続きました。

ここだけではないのですが、

医師の人間性の低下や欠如は大問題ですね。

私も様々な医療機関で活動していますので、色んな物を目にしたり耳にしたりしています。

「何で医者になったのですか?」

「お金になるから!親が医者だから!」

そんな方が多いのです。

「病気で苦しんでいる方を救いたい、という気持ちで医者になった経緯はありますか?」

「…………。」

みたいな!

今回、救いだったのは、リハビリスタッフが頑張り出した事です。

でもそれを動かしたのは、

何より本人の頑張りだったのです。

現在は、目を開けている時間も長くなり、表情も健常者と変わらなくなりました。

目線も自然に照準を追いかけられ、首の動きも伴うようになりました。

口もよく動き、一生懸命、声を出そうとしています。

結局、保険制度、最大期間の半年をしっかりこちらの病院にてリハビリをする事が出来ました。

明日、胸を張ってこの病院を出て行きます!

まだまだ通過点にしか過ぎませんが、

これからもさらに回復して行くのは間違いありません。

半年間、

これだけの難局を乗り越えた、

ご本人やご家族、しろたんに敬意を表したいと思います。

たくさんの感動をありがとうございました。

これからも頑張って行きましょう!

SAYONARA 国立競技場 vol.5

スポーツの聖地「国立競技場」

アスリートと観客が一体となり、多くの歴史的瞬間を刻んできたスタジアムが、56年の歴史の幕を閉じようとしています。

いよいよクライマックスです。

国家斉唱

三宅由佳莉さん

谷村新司さん、「昴」

森山良子さん、「今日の日はさようなら」

会場にお別れの雰囲気が漂って来ました。

このイベントに花を添えるアーティスト。

そして、観客席のペンライトが、国立競技場とのお別れを惜しんでいるようにも感じます。

都倉俊一さんの指揮で、「蛍の光」

ちょっと紅白歌合戦チックですね。

これが見納め!

聖火が消えて行きます。

こんなに炎を見つめたのも、久しぶり。

多少、風もあったので様々な表情を見せてくれていました。

そして、………消えて行きました。

聖火台の後方から一斉に700発の花火が!

物事には必ず終わりがある!という事を告げられたような気がします。

今まで、選手の引退は数多く見てきました。

競技場の引退を見るのは初めてです。

会場全体が闇に包まれました。

ピッチには、SEE YOU IN 2019

電光掲示板 には、SAYONARA の文字が浮かび上がりました。

国立競技場、お疲れ様でした。

本当にありがとう!

イベント終了後はグラウンドに入る事が許され、

皆さん、最後のお別れをしていました。

特にこのピッチの芝生は、芝生職人が何十年もの間、1日も休まずに手入れを続けて来た芝生です。

ほとんど人で芝生が見えませんが(笑)

皆さん、裸足で感触を味わっていました。

私もプロフィール写真を含め数多くの写真をこの競技場で撮って来ましたが、

この写真がここで撮った最後の一枚になりました。

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

メインスタンドの壁画、

スポーツの神様「ATHENA」に

感謝の意を捧げます。

SAYONARA 国立競技場 vol.4

さて、楽しかった時間も終わりに近づいて来ました。

最後のセレモニー、フィナーレが始まりました。

司会は徳光さんです。

辻井伸行さんが、1964年東京オリンピックの開会式で演奏された「東京オリンピック・ファンファーレ」と、ショパンの「英雄ポロネーズ」を演奏しました。

このスタジアムで活躍されたアスリートに感謝の気持ちを込めたという演奏は、

会場全体を感動の渦に巻き込みました。

本当に素晴らしかったです。

ここ国立競技場は、

スポーツの舞台になるだけではなく、

コンサート会場としても数々のアーティストが使って来ました。

次に往年の選手たちによる聖火リレーが行われました。

あの聖火台に点火します。

北澤さんの手に聖火が渡りました。

そして、最後のランナー、吉田沙保里選手の手に!

そのまま聖火台に向かって登って行きます。

そして、聖火台に到着しました。

いよいよ点灯します。

聖火台に火が灯りました!

もちろん、この聖火台に火が灯るのも、これが最後の最後になります。

この瞬間、

この場にいれて本当に良かったと思いました。

【つづく】

SAYONARA 国立競技場 vol.3

この日のイベントは、盛りだくさんでした。

1964年の東京オリンピック開会式で展示飛行を行ったブルーインパルスが再び国立競技場の上空にやって来ました!

速いのなんのって、速いに決まってますが

とにかく速いというしか言いようがないのです。

最初に何処からか、飛行機のジェット音だけが聞こえてきます。

みんな「何処だ、何処だ?」という感じで見上げていると、

スタンドの陰から

白い煙の尾を引きながらブルーインパルスが現れて、

あっという間にに消えていくのです。

会場の盛り上がりも最高潮でした。

この後は、

サッカーとラグビーのレジェンドマッチが行われました。

日本を代表する往年の名選手が勢揃い!

ラモス瑠偉さんや、北澤さん、ゴン中山さんなどのボールさばきに観客も喜んでいました。

現在、日本のスポーツ界は様々な問題が露出し紛糾していますが、

こういった問題が一掃されて、これからも多くの方にスポーツが親しまれる事を願います。

会場もだんだん陽が傾いて参りました。

今日の東京は、かなり強い雨が降っているのですが、

4年前の今日は晴れていて本当に良かったです。

グラウンドでは、ラグビーの早明戦、レジェンドマッチが始まりました。

こうやってみると、

この国立競技場は東京オリンピック以降、

様々なスポーツで使用されて

数々の歴史や伝説を生んできたんだなぁ、と改めて実感させられました。

照明灯も点灯されてナイターになってきました。

試合が終わりました。

選手のみなさん、お疲れ様でした。

すっかり夜になりました。

淋しい気持ちも込み上げてきますが、

いよいよフィナーレを迎えます。

【つづく】

SAYONARA 国立競技場 vol.2

さて、今度はグラウンドから、

聖火台のある、あのバックスタンドに向かいます。

この日は、4色のTシャツが用意され、

みんな好きな色を選んで参加したのですが、私は「赤」を着ました。

「赤」チームの皆さんと一緒に移動です。

一旦、外に出て、外階段から向かいます。

バックスタンドに到着しました。

正面にはメインスタンド、そしてピッチが一望できます。

これから始まるイベントは、記念撮影です。

なんと、メインスタンドからこちら側を撮影するらしいのです。

今は、この客席が、赤と青のTシャツで埋め尽くされていると思います。

さぁ、どうなるか?

さぁ、いよいよ記念撮影!

はい!ポーズ(^。^)

皆さ〜ん、見えますか〜?

見えないですよね。

ちょっと拡大してみます。

ジャーン!

さらに!

ジャーン!

ちょっと、見えて来た感じ!

さらに!

さらにイベントは続くのでした!

【つづく】

SAYONARA 国立競技場 vol.1

現在、絶賛建設中の国立競技場。

急ピッチで建設が進んでいます。

近くを通ると、

その巨大な建造物に圧倒されます。

なんとなく、形も見えて来ました。

建設に従事される皆さんが、安全に作業を行なって頂ける事を願います。

さてさて、本題。

ちょうど、4年前の今日!

2014年5月31日

国立競技場のお別れイベントがありました。

SAYONARA国立競技場FINAL

“FOR THE FUTURE ”

4年前を思い出しながら、書いてみたいと思います。

朝靄のかかった早朝の観客席がとても印象的でした。

ここは、仕事や講習会で来ることが多かったのですが、

この空間には特別な空気が流れている感じがしました。

ここが、壊されてしまうと聞いた時は本当に辛かったです。

さて、いよいよグラウンドに降り立ちました。

気持ちが引き締まる感じと、ワクワク感が込み上げてきます。

この日は、ここで盛りだくさんのイベントが行われていました。

タレントさんや、選手のトークショーを見たり、トラックをひたすら走ったり、皆さん、思い思いに最後の競技場を満喫していました。

最後という事で、天然芝のターフにも入ることができました。

そんな中、有森裕子さんが登場しました。

みんな気持ちが上がらないわけがありません。

私もアドレナリンが最高潮になり、

大人気なく、ジャンプ!

ステージでは、宗兄弟、瀬古さんなどもトークで花を添え、国立競技場に対する想いを語っていました。

手入れの行き届いた、天然芝は本当に気持ち良いです。

名言「自分で自分の事を褒めてあげたい!」

レジェンド、有森裕子さんと記念撮影!

ありがとうございました。

【つづく】

バトンを渡して行くという事

【回顧録】

以前のブログが全て消滅してしまったので、

少しずつ過去の出来事を思い出しながら投稿していきます。

 

二年前の今日。

2015年1月21日の記事
今日の授業は、私が今まで伝えて来た/運動生理学/機能解剖学/バイオメカニクス/トレーニング理論を取り入れ、常任教師が授業を進めました。


これまで約一年、自分なりに一生懸命教えて来た事が、先生方に伝承されて新しい授業の形になって来た事に感無量でした。


生徒が自分自身で運動能力や身体機能を分析し、目的に即したトレーニングメニューを組めるようになるのを授業の目的に掲げています。


こんな事の出来る中学生は何処を探してもいないでしょう。

教育委員会や県、市の職員も視察に来られ、「こんな取り組みをしている学校は他には無い。」と高い評価を頂きました。

まだまだ問題点も山積みですが、新しい事をやるって事はそういう事なんでしょう。

ここまでやるのも結構大変だと思います。

先生方の努力に頭が下がります^o^