姥捨の棚田

先日、

日本遺産・高尾山に名前を連ねたのを機に、

他にも、

日本遺産を訪ねてみようと思いました。

今日やってきたのは、

千曲市にある姥捨です。

姥捨の棚田は、

田毎の月とも呼ばれています。

田んぼでは、

100名くらいの中学生が、

田植えをしていました。

この季節から、

田んぼに水が入ると絶景になります。

夕方以降は、水面に映る月と、

千曲市街の夜景が見事です。

今度は夕景を観に来ようと思います。

 

天狗ドッグ

今日は高尾山ならではの、

B級グルメを紹介します。

ケーブルカー乗り場に隣接した所に、

高尾山BBQマウントがあります。

夏場はビアガーデンになっているのですが、

10月17日で終了しています。

ここの展望台は、

関東一円をぐるっと見れる絶景ポイントになっています。

そして、

高尾山名物の一つが、

天狗ドッグ!

今日の昼食にしようと思います。

ホットドッグ🌭は、なんと言っても、

パンよりソーセージが長い方が嬉しい😃

お値段は、600円

味はまぁまぁです!

以上、

高尾山BBQマウント展望台より

お届けしました!

極秘プロジェクト

第二次世界大戦の末期

軍部が最後の決戦の地として

極秘に大本営や政府、皇室等を

松代の地に移す計画の元に、

松代大本営地下壕が建設されました。

建設中に終戦を迎えてしまったので、

ここは戦場にはならなかったのですが、

過酷な労働で多くの人が犠牲になりました。

そのうちの一つ、象山地下壕は

戦争の悲惨さを後世に語り継ぐ為に、

大切に当時のまま保存され、

平成元年より一部を公開しています。

ただ今、

その地下壕の中を歩いております。

屋外は今日も猛暑!

焦げてしまいそうな暑さですが、

地下壕の中は、とても涼しいです。

時より、

コウモリがバタバタと飛び立ち、

歩いていて気持ち良い物ではありません。

沖縄の、ひめゆりの塔や旧海軍司令部壕。

鹿児島の知覧など、

戦争の爪痕を残す地域をいくつも見て来ました。

足を踏み入れた瞬間に、

胸が苦しくなるのは、どこも同じです。

コロナ騒動の次は、

第三次世界大戦が起きるとのシナリオがあるそうですが、

二度とこのような過ちが起きないことを祈るばかりです。

聖火台

懐かしい写真

旧国立霞ケ丘競技場

私の思い出がたくさん詰まった競技場でした。

今は、新国立競技場として生まれ変わったのですが、以前の競技場の方が全然良かったと思います。

選手たちの活躍を見守って来た聖火台!

現在は、

どうなってしまったのでしょうか?

こんな所にありました。

オリンピックミュージアムの前に広場があります。

ここには、

皆さんがTVのニュースなどで良くご覧になる

五輪のモニュメントが立っています。

この角度で撮った映像がよく流れていますね。

さて、

旧国立霞ケ丘競技場にあった聖火台。

時代の象徴でもあったシンボルが、

今は、こんな隅っこに追いやられています。

現代社会を映し出しているようで………。

これも時代の流れ!

私たちも巨大権力に追いやられて、

この聖火台のように、隅っこで小さくなっています。

隅っこに追いやるにしても、
もうちょっと良い場所は無かったのでしょうか?
まぁ、何も考えていなのだから、仕方ありませんね。

まだ、

東京オリンピックを楽しみにしている人はいるのでしょうか?

優雅にスポーツ観戦を楽しんでいた時代は遠い過去です。

お時間があったら皆さんも是非、ご覧になってください。

この聖火台のように、

自分たちの置かれている立場や未来が見えてくると思います。

五輪はご臨終ということで!

いつまでもお元気で!

特攻隊が出撃前に書いた遺書には、

父や母、

家族に対する感謝の気持ちが

綴られていました。

「いつまでもいつまでもお元気でいてください。」

家族に残したこのような内容の遺書が多数、

知覧平和記念会館に展示されています。

19〜20歳の若者の文章とは思えない

立派な手紙ばかりでした。

遺書の前で胸が詰まる思いと、

涙が溢れて来た事を

今も鮮明に覚えています。

開聞岳、

特攻隊が飛び立った時、

何度もこの開聞岳を振り返って、

二度とここに戻っては来れないと、

覚悟を決めて敵艦に向かって行ったそうです。

常に感謝の気持ちを持って、

日々、

一生懸命生きているつもりでも、

特攻隊員の事を思うと、

まだ何かが足りないのを感じます。

天然超音波温泉発祥地

今日は、信州の戸倉にあります、

万葉超音波温泉をご紹介します。

千曲川に架かる万葉橋の袂にある日帰りの温泉施設です。

万葉橋を渡って行くと、万葉超音波温泉の看板が見えてきます。

ここ一帯は戸倉上山田温泉と呼ばれています。

実は、こちらの泉質に興味を持ち、今年の5月頃から通い詰めています。

通えば通うほど魅力的な温泉地なのですが

戸倉上山田温泉の魅力についてはいずれお伝えしたいと思います。

今回は、私が温泉マニアとして日本全国廻った中でもNo.1とも言うべき究極の温泉に出会う事が出来たので、ご紹介させて頂きます!

天然超音波温泉発祥の地、とあります。

さて超音波とは何か?

この温泉が発見された当初、昭和23年頃は、入浴するとカラダに気泡が付く炭酸泉だったそうです。

この気泡が破裂する時に超音波を発生して体内が温められるそうです。

当時は37℃の温泉だったそうですが、カラダがいつまでもポカポカして湯冷めしない事で有名だったとの事。

今は泉質が変わってしまい炭酸泉ではなくなったそうですが、人工的にバイブラバスを作り、超音波温泉を再現しているのです。

泉質が変わったとはいえ、戸倉上山田温泉の泉質は一級品。

単純硫黄泉で、湧出量も多く、どの施設や宿泊所も源泉かけ流しです。

この写真の真ん中の浴槽が、バイブラバス!つまり超音波温泉の再現です。湯温は42℃くらいでした。

手前の浴槽が、さらに温度が下がり、40℃前後。

一番奥にあるのが、源泉が流れ出ている浴槽で、47.2℃です。

この他に、もう一つ、体温浴槽39℃があり、お子様などにも利用されています。

露天風呂もとても気持ち良く、湯温は42.5℃でした。

全部で5つの浴槽があり、浴槽だけでなく洗い場のシャワーやカランまで、これだけの湯量を全て源泉かけ流しに出来るのは、戸倉上山田温泉だからこそだと思います。

大自然の恵みに感謝です。

そして、なぜ私がここをNo.1として選んだかというと、単純硫黄泉の源泉かけ流しである事だけではありません。

45℃〜48℃の超高温浴が出来る最高の環境が整っているからなのです。

次は、超高温浴の効果について書きますのでお楽しみに!

【つづく】

 

夏真っ盛り!

今年も、一番好きな季節がやって来ました!

万座温泉は花盛りです!

日進館の周りをお散歩すると、そこは、メルヘンな世界!

高山植物のルピナス

そして、高山植物の女王「コマクサ」

今年は、暑かったせいか、いつもより咲く時期が早いようです。

今年もお目にかかることが出来ました!

日進館の周辺を散策すると、そこは、メルヘンの世界。

東山魁夷の絵を見ているような「牛池」

まるで鏡のようです。

トトロが出てきそうな感じです。

この季節の露天風呂は最高です。

雑誌やテレビの日本の名湯ガイドのどれを見ても、

必ずベスト5位内に入っている「万座温泉日進館の「極楽湯」

日本全国から、この湯を求めて多くの方が訪れますが、

我が家の風呂のように、毎日入っている私は本当に幸せです。

皆さまも、都会の喧騒を離れて、

大自然の恵み包まれてみてはいかがでしょうか?

初!ZOZOマリンスタジアム

ここは、海浜幕張駅!

千葉ロッテマリーンズのお膝元です。

今日は、人生初のZOZOマリンスタジアムにやって来ました!

海浜幕張駅から海に向かって徒歩で10分くらいです。

初めての人も道に迷う事はないでしょう。

球場の周りには、多くの屋台が軒を連ねて、良い匂いを漂わせていました。

テーブルや椅子も数多く置かれていて、試合前から出来上がっている人もたくさんいました。

球場内にも飲食店はたくさんあるのですが、屋外のお店の方が美味しかったような気がします。

特に鹿児島の黒豚フランクは本当に美味しかったです(^^)

マリンスタジアムは再入場が可能ですので、自由席の方も席を確保した後で、ゆっくり買いに出れますので安心ですね!

今日は平日という事もあってお子様は少なかったですが遊具も出ていました。

そして、

埼玉アストライアの山崎選手と谷山選手が、

7/16の神宮球場での

試合の告知に来ていました。

私の職場のジムで、

いつもアストライアの選手が頑張って練習しているのを見ていたので、

お声かけさせて頂きました。

女子プロ野球も頑張って欲しいですね!

皆さん!

7月16日は、

埼玉アストライアの応援に神宮球場へGO!

そして、

こちらはイベントステージ!

千葉ロッテマリーンズと横浜DeNAベイスターズのチアリーダーによるダンスパフォーマンスなどイベントが盛りだくさんでした!

今は、どの球場に行ってもファンサービスが充実していて、各球団、努力しているのを感じます。

球場に入りました。

屋外の球場で開放感があり、海風がとても心地よく感じました。

内野席、外野席ともに後ろの方は屋根があるので、雨が降って来ても傘をささずに観戦する事ができます。

ちょっと足を伸ばして普段行かない球場に行ってみるのも楽しいですね。

さて、今夜はどんなゲームになるのでしょうか?

絶賛建築中!新国立競技場

平昌オリンピックが終わって、いよいよ次は、東京オリンピックがやってきます。

今回の平昌でメダルを量産した日本。

東京オリンピックはかなりの盛り上がりが予想されます。

現在、建築中の国立競技場。

ここを通る度に複雑な思いが去来します。

この競技場には、たくさんの思い出がありました。

ここが壊される時は、本当に辛かったですね。

東京オリンピックに関しても、賛否両論さまざまですが、オリンピック以降も平和な世の中が続き、この新競技場で未来永劫。多くの感動的な場面が見られる事を願っています。

私の私感ですが、子供や青少年の人間形成にスポーツは重要な役割をきたしていると思っています。

新競技場が多くの人に愛される競技場になりますように(^^)

草津白根山

2014年6月3日、噴火警戒レベル2になり、入山規制が、かかっていた草津白根山。

あれから三年。

今年6月7日、警戒レベル1に下がり、入山規制が解除になりました。

封鎖されていた白根山レストハウスも営業を始めました。

今は、夏休みという事もあり、多くの方が来ていました。

白根山といえば、湯釜です。

ここに来るのは、なんやかんや、18年振りになります。

しょっちゅう来ている場所ですが、いつでも見れると思うと登らないものですね。

警戒レベルが上がり、入山規制が掛かって3年。

もっと見ておけば良かったなぁ、と、ずっと後悔していました。

レストハウスの駐車場には、ところどころ、このような避難用のシェルターや避難小屋が建っています。

火山の噴火の恐ろしさを感じさせます。

いつの日か、また噴火の兆候が現れ、警戒レベルが引き上げられれば、いつ見られなくなるとも限りません。

今日は、しっかり目に焼き付けたいと思います。

ここが湯釜への登山道入口です。

湯釜へと登っていくと、眼科には、万座プリンスホテルや日進館も見えて来ます。

湯釜に到着しました。

思わず、うわーっと声が出てしまうエメラルドグリーンの湖。

その時の、雲のかかり具合で、刻一刻と様相が変わります。

18年振りに見た湯釜はとても幻想的で、自然界の織りなす美しさに感動して帰って参りました。

この風景がいつまでも楽しめる事を祈っています。

 

沖縄・慰霊の日に

今回も無事に沖縄宜野湾市での講演を終える事が出来ました。

悪天候の中お越し下さった皆様、そして、主催して下さった玉寄みつ子様に心より感謝申し上げます。

20日、東京に戻る日だったのですが、その前にどうしても行きたい場所がありました。


三日後の今日23日は、沖縄慰霊の日という事も有り、旧海軍司令部壕とひめゆりの塔に、参拝させて頂きました。


旧海軍司令部壕の前には、海軍戦没者慰霊碑が建っています。


資料館には、戦時中に司令官や幕僚が書いた手紙や遺書が残っています。

追い詰められていた状況が、克明に書かれています。

壕の入口を入ると、地下へと向かう長い階段が続きます。

下には、かまぼこ型のトンネル状の通路が、迷路のように張り巡らされていました。


壕の中には、作戦室、信号室、暗号室、司令室、幕僚室、下士官・兵員室、医療室、暗号室などが配置されています。

1945年6月4日

米軍第六海兵師団が小緑地区に上陸。


6月6日

米軍が小緑飛行場を占拠。


6月11日〜14日

米軍による総攻撃で、海軍沖縄方面根拠地隊が全滅しました。


6月11日午前7時、

司令部壕に集中攻撃が加えられた。

同日夜には司令部壕からの最後の報告として海軍根拠地隊が玉砕したとの電報が発せられました。

13日午前1時、大田實司令官はこの司令室で拳銃で自決。

ここ、幕僚室では、13日、大田司令官と共に幕僚6名が手榴弾で自決しました。


その時の、手榴弾の跡が残っています。

6月23日午前4時30分

摩文仁洞窟に置かれた司令部壕にて、第32軍司令官・牛島満中将が長参謀長と割腹自決をしました。

これをもって、組織的戦闘が終結されたとして、6月23日が、沖縄・慰霊の日として制定されたそうです。

その、牛島満中将が自決した糸満市摩文仁には、ひめゆりの塔や平和記念公園があります。

帰りの飛行機の時間があった為、平和記念公園には行けませんでしたが、ひめゆりの塔には参拝させて頂きました。

ひめゆりの塔は、沖縄陸軍病院第三外科壕跡に建てられた慰霊碑。

「塔」と名付けられていますが、実際はご覧のように60cmくらいの大きさです。

沖縄戦末期に、沖縄陸軍病院第三外科壕に学徒隊として従軍していた、ひめゆり学徒隊にちなんで名前がつけられたそうです。


実際にこの洞窟の中が、病院だったのです。

ここに数多くの負傷兵が運び込まれていました。


1945年3月24日

沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍しました。

しかしその後激しい戦闘が続き、日本軍の防衛戦が前田高地附近に撤退した4月24日頃には山容が変わるほどの激しい砲撃にさらされ、5月25日に南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜んだ。

6月18日

戦局が絶望的になり、学徒隊は解散を命じられる。

最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊でした。

第三外科壕は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、、第三外科壕にいた人々のうち沖縄戦終結まで生き残ったのはわずかに5名だったそうです。


隣接する平和祈念資料館には、生き残ったひめゆり学徒隊の方の貴重な証言や資料が残っています。

改めて戦争の悲惨さ、愚かさ、そして命の大切さを感じました。

この日も、たくさんの学生が訪れていました。

これからの日本が、そして世界が、平和である事を祈念します。


合掌。

白糸の滝

今日は、仕事の合い間に軽井沢の「白糸の滝」に行ってきました。

駐車場から、川沿いを登って行くと、すぐに滝壺が見えて来ます。

川の水も澄んでいて奇麗です。

浅間山の地下水がこの景観を作っているそうですが、素晴らしい風景に圧倒されました。

河川から流れてくる滝ではなくて、地面からすだれ状に湧き出て滝になっているのが、わかります。

かなり広い範囲のパノラマ風景なので、一つのフレームには収まりません。


こんなに幻想的な滝は見た事なかったです!


本当に白糸に見えますね。


マイナスイオンもたっぷり吸収しました。

軽井沢にお越しの際は、是非、お立ち寄り下さい。

とても心地良い空間です。

明日のブログの主役!

川上さんご夫妻と(^^)