光を見て✨ビジョンを見て💐

昨年、11月14日

城西内科クリニックで、

20歳の青年と出会いました。

この時すでに、

彼のカラダは厳しい状況でした。

ほんの僅かでも

可能性が残っているのなら、

それに向かって

全力で突き進むのがアスリート。

良いと思われる事は全てやる!

地獄のような苦しみと闘いながらも、

いつも笑顔で頑張っていました。

ホント強かったね〜〜〜!

この笑顔を見て、

必ず奇跡は起きると信じていました。

ご家族や髙橋先生、

医療関係者、

学友たちの愛に支えられながらの

約一年でしたが……

昨日、PM3:40

21歳の生涯を閉じました。

……残念です。

最後に言葉を交わす事も

出来なかった……

ですが、

なんとなんと

私に伝言を残してくれたのです。

「光を見て、ビジョンを見て、

人間関係を大切に

お過ごしください。」

とても

21歳の言葉とは思えない……。

一気に悲しみが吹っ飛びました!

落ち込んでる場合じゃ無いよね。

ありがとう〜😊

しっかり心に刻んだよ〜😭

これからはモト君の分も

しっかり生きていくから、

今度は君が僕を見守ってくれ〜〜!

頼んだぞ〜〜〜!

そして、

誰になんと言われようとも、

ワクチンの危険性を強く訴えて行くよ!

モトくんの死を、

決して無駄にはしないから!

今まで本当にありがとう😊

ゆっくり休んでね。

そして、いつかまた

美味しい物食べに行こうぜ!


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西田敏行さんの言葉🍀

1980年!

私が高校生の頃、

大好きだったドラマ

「池中玄太80キロ」

毎週、

夢中になって見ていました。

当時、

西田敏行さんは、

私にとって大スターでした😻

高校卒業後、

私もこの世界に飛び込み、

憧れの西田さんと、

ご縁を頂くことになりました。

初めてご一緒させて頂いた作品が、

映画「敦煌」。

現地のレストランで初めてお会いして、

「よろしくね!」と、

握手して頂いた時は、

全身鳥肌が立ちました💦

そして、

中国の砂漠の上で約7ヶ月!

寝食を共にしての過酷な撮影でした。

砂漠の上で、

水や食べ物も満足に得られない場所で、

俳優もスタッフも分け隔てなく、

生活を共にしました。

そして、

私がスタントをやる時は、

心配そうに見守ってくださいました。

無事にスタントが終わると、

西田さんが

「スタントやる時の顔って、

ホントいい顔してるなぁ〜!

俺もあと何年役者やったら、

あんな顔が出来るようになるのかなぁ〜。」

と、

今も忘れられない言葉です。

この作品がご縁で、

西田さんのお家に伺った事もあり、

本当にお世話になりました。

そして、

1992年、

あの名作ドラマ

「池中玄太83キロ・さよならスペシャル」の制作が決まったのですが、

私がアクション監督に抜擢されたのです🤩

嬉しかったですね〜〜。

ドラマは大成功!

視聴率は23.9%を叩き出しました😳

アクションシーンの評価も高く、

プロデューサーから絶賛して頂きました。

自分の人生を変えてくれた

作品の一つですね。

台本は、

今でも大切に持っています。

西田さんが演出家としてデビューした舞台。

紀伊國屋ホールにご挨拶に伺ったのが

最後になってしまいました。

突然のことで、

まだ実感がないのが正直な所です。

西田さん!

長い間、本当にお疲れ様でした。

俳優として、演出家として、人間として、

たくさんの事を教えて頂きました。

ありがとうございました。

ゆっくり休んでください。

【そして最後に】

西田さんにお会いする度に、

いつも云われた事。

「スタントマンは、

若いうちしか出来ないんだから、

しっかり芝居を勉強して

俳優になれよ!」

と、

いつも心配してくださいました。

そして今、

還暦を機に、

新たなステージに入った気がしています。

残りの人生、

俳優として生きていく!

可能性大です。


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無限大の感謝

ここは、

グランドプリンスホテル新高輪

「飛天」です。

今日は、

谷村新司さん、

75歳の誕生日🎂

奇しくも、

この日が「お別れ会」になるとは

思ってもいませんでした。

平日にも関わらず、

多くの方が、

弔問に訪れていました。

混雑は予想していたので、

開場時刻に伺ったのですが、

すでに、

グランドプリンスホテルを、

2週する列が出来ていました。

祭壇には、

ご遺骨とお位牌があり、

思わず、

息が詰まりました。

悲しみが込み上げてきて、

胸が締め付けられました。

画像は、オリコンニュースより拝借

本当に逝ってしまったんだ……

遺影の笑顔を見ていると、

まだどこかで、

元気でいるような気がして、

いまだに信じられない…

気を取り直して

45年間の感謝をお伝えし、

ご焼香と献花を捧げました。

夢を追い続けること!

私が、

一般企業に就職して、

毎朝、

満員電車に揺られるような、

既定路線の人生を歩まなかったのは、

明らかに谷村さんの影響です。

私が13才の時に、

ラジオ番組で

谷村さんの声を聴いたのが

最初でした。

以来、

話される言葉ひとつひとつ。

多くの楽曲の歌詞からのメッセージが、

私の人生の指針でした。

たとえ砕け散っても、

これからも

心の命ずるままに、

楽しい事、やりたい事だけを、

ひたすら

やり続けていきます。

お別れの会「感謝」では、

きっと本人が出て来て、歌ってくれる!

そんな、

サプライズを期待していました。

今日は何が起ころうと、

決して泣くまいと、

心に決めていましたが………

最後は、

会場総立ちで、

チンペイさんとの

別れを惜しんでいました。

この局面で、

泣くなと言っても、

無理ですね。

私もつられて、

撃沈しました💦

男女比は、

半々くらいだったと思いますが、

私と同年代、

もしくは上の世代の男性たちも、

「谷村〜」「チンペイ」「ありがとう」と、

涙を流し、

叫び続けていました。

終わっても会場から離れたくない。

みんな帰らなかった。

ここに集まった人たち、約2000人、

そして、

来れなかった人たちも、

皆さん、同じ気持ちだと思います。

みんな同級生みたいなものですから。

本当に辛いよね〜。

ぽっかり空いた穴は、

なかなか塞がらないけれど、

この世にまだ

残された時間がある限り、

頑張って生きて行きましょうね!

燃え尽きるその時まで。

54歳の時に作られた「流星」は、

残された私たちへの遺言です。

永遠の命はないと

流星が教えてくれている

輝きながら消えてゆく

それが最後のメッセージ

先に逝くもの 残されるもの

残されるものも やがて逝くもの

生きるならひたすらに

燃え尽きるその時まで

生きていくなら振り返らずに

明日の風にまかれて行け

「流星」より

2023年12月11日

谷村新司お別れの会「感謝」にて

言葉では、

言い尽くすことのできない

無限大の感謝を込めて

アリガトー😭


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覚悟はしていました。

ここ二、三年、

私にとって大切な、

尊敬する人、憧れの人、

お世話になった人など、

心の支えになっていた方が

次々と旅立たれていきました。

ALICEが再結成されて、

2009年(60歳のアリス)

2012〜2013年(64歳のアリス)

2019〜2020年(70歳のアリス)

と、

全国ツアーがありました。

だいたい3年くらいお休み期間があって、

再始動という繰り返しでした。

コンサートツアーの度に、

アリスもファンも、

年齢が増えていきます。

「次、また会えるのは3年後か〜。

今回が、もしかしたら最後かもしれない。」

と、

コンサート会場で、

いつも内心ヒヤヒヤしながら

3人の姿を目に焼き付けていました。

でも、

昨年11月の有明アリーナ(73歳)では、

パワー全開の歌声を披露。

そして、

今年の全国ツアーを告知。

「あと10年は続けるから」

と宣言してくれたので、

ちょっと安心していました。

それが………

いつかは、

こんな日が来るだろうと、

心のどこかで覚悟はしていたけれど、

やっぱりキツいですね。

『夢』を追い続ける事の大切さ、

そして、

その難しさを教えてくれた方でした。

ありがとうございました。

ゆっくり休んでください。

4回忌の奇跡

2018年7月15日

万座温泉日進館・第6代目館主

泉堅さんが、

天に召されてから4年の月日が流れました。

「人生は、99歳までは助走期間。本番は100歳から。」

泉堅さんの魂は、今も心の中に残っています。

本日まで、3日間

健康プログラムの講師を務めさせて頂いたのですが、

最終日の今日、

奇跡が起きたのです!(◎_◎;)

健康プログラムの終了時、

皆さまにご挨拶をしていたら、

誰も触っていないパソコンから

「大切なあなただから」

が、突然、流れ始めたのです😵

近くにいた日進館・大野社長が、

「齋藤先生が音楽流したの?」と、聞かれたので、

「いえいえ、私は何も触っていません。」

こんな事が起きるのですね〜。

堅さんが会いに来てくれました。

「いつもありがとう。見守っているよ!」と、言ってくれた気がします。

感謝しかありません。

コマクサ葬&サクラ葬

昨年7月に開催した

MANZAPの集合写真

あれから一年が経ちました。

写真の後列左端に

MANZAPに皆勤賞で参加していた

川上恵子さんがいます。

毎回参加を楽しみに

京都から毎月ご主人様と一緒に通われていました。

でも、

この時が最後の参加になってしまいました。

筋力トレーニングを続ける事により、

がんマーカーの数値を下げる事、癌の再発を防ぐ事を

身を持って持って教えてくれていた川上さん。

しかし、

病魔は魔の手を緩めてくれませんでした。

8月、突然体調が崩れ始め、

11月24日、天に召されました。

お亡くなりになる、

ちょうど一週間前。

大阪の病院にお見舞いに伺いました。

そこでの会話も、

万座温泉での思い出ばかりでした。

緊急事態宣言があけて、

三か月振りにやって来た万座温泉は、

高山植物のコマクサが満開です。

本日、

川上さんのご主人が

奥様のご遺骨を持ってきてくださいました。

奥様が大好きだった万座の地に、

散骨をしたいとの事でした。

散骨は、私も初めての経験でしたが、

ほんわりと気分が明るくなり、

故人がとても喜んでいるのを感じました。

人間も自然界、そして地球の一部です。

やはり肉体は

地球に帰っていくのが

一番自然な事だと感じる瞬間でした。

来年の夏は、

川上さんの魂が宿ったコマクサが

ここ一面に咲くのかと思うと

胸が熱くなります。

そして、

標高1800mの万座温泉には、

唯一、

一本だけ、桜の樹があります。

日本で一番遅く咲く桜と言われています。

ここには、

日進舘を代表して

女将のまいみさんが、散骨しました。

大好きだった女将に蒔いて貰えて、

幸せですね。

ここで、みんな思っていた事が共通していて、

「自分も死んだら、こうやって蒔いて欲しい!」

です。

骨壺に押し込められて、

真っ暗なお墓の下に埋められるより、

毎年たくさんの人の心を和ませる

花になった方が絶対に良いですよね。

肉体は形を変えて

大自然の一部となって生き続けるんです。

来年、

この桜の花やさくらんぼにも、

川上さんの魂が宿ります。

毎年会いに来るのが楽しみです。

無事に、

コマクサ葬とサクラ葬が終わりました。

川上さん!

来年、キレイな花を咲かせてくださいね!

ご冥福をお祈りしています。

私も死んだら、

ここに蒔いて貰おう!

決定!

大切なあなただから

「人生は、99歳までは助走期間でございます!本番は100歳から!」

万座温泉日進館会長・泉堅さんの言葉が今も強く残っています。

この言葉にどれだけの方が勇気づけられて来たでしょうか!

泉堅さんの「大切なあなただから」を聴きながら、涙を流されている方をたくさん見て来ました。

健康プログラムの講師を約二年半、続けさせて頂いていますが、こちらに伺ってご挨拶する度に、

「先生、いつも有り難うございます。感謝します。」と、両手で優しく包み込んで握手をして下さいました。

その暖かい手の感触は一生忘れる事はありません。

「薬は病気を癒しません!  薬は病気を作ります!」とフロアショーで言い続けて来た泉堅さん。

その思いを私も健康プログラムで継承して行きたいと思っています。

今月15日に訃報を聞きました。

それ以来、茫然としてしまいブログも更新が止まってしまいました。

12日、出張先の京都で急性心不全で69歳の生涯を終えられたとの事でした。。

今、この投稿を日進館のロビーで書いていますが、堅さんがひょこっと現れてくるのではないかと感じます。

今だに現実を受け止められない気持ちでいます。

31日まで日進館の1Fに献花式場が設けられています。

本日、献花をさせて頂きました。

生前の堅さんを彷彿とさせるような、華やかで暖かい献花台でした。

堅さんの生き様から、たくさんの事を教わりました。

本当に有り難うございました。

今はゆっくり休んで下さい。

言葉では言い尽くせぬ感謝を込めて。

齋藤應典