西田敏行さんの言葉🍀

1980年!

私が高校生の頃、

大好きだったドラマ

「池中玄太80キロ」

毎週、

夢中になって見ていました。

当時、

西田敏行さんは、

私にとって大スターでした😻

高校卒業後、

私もこの世界に飛び込み、

憧れの西田さんと、

ご縁を頂くことになりました。

初めてご一緒させて頂いた作品が、

映画「敦煌」。

現地のレストランで初めてお会いして、

「よろしくね!」と、

握手して頂いた時は、

全身鳥肌が立ちました💦

そして、

中国の砂漠の上で約7ヶ月!

寝食を共にしての過酷な撮影でした。

砂漠の上で、

水や食べ物も満足に得られない場所で、

俳優もスタッフも分け隔てなく、

生活を共にしました。

そして、

私がスタントをやる時は、

心配そうに見守ってくださいました。

無事にスタントが終わると、

西田さんが

「スタントやる時の顔って、

ホントいい顔してるなぁ〜!

俺もあと何年役者やったら、

あんな顔が出来るようになるのかなぁ〜。」

と、

今も忘れられない言葉です。

この作品がご縁で、

西田さんのお家に伺った事もあり、

本当にお世話になりました。

そして、

1992年、

あの名作ドラマ

「池中玄太83キロ・さよならスペシャル」の制作が決まったのですが、

私がアクション監督に抜擢されたのです🤩

嬉しかったですね〜〜。

ドラマは大成功!

視聴率は23.9%を叩き出しました😳

アクションシーンの評価も高く、

プロデューサーから絶賛して頂きました。

自分の人生を変えてくれた

作品の一つですね。

台本は、

今でも大切に持っています。

西田さんが演出家としてデビューした舞台。

紀伊國屋ホールにご挨拶に伺ったのが

最後になってしまいました。

突然のことで、

まだ実感がないのが正直な所です。

西田さん!

長い間、本当にお疲れ様でした。

俳優として、演出家として、人間として、

たくさんの事を教えて頂きました。

ありがとうございました。

ゆっくり休んでください。

【そして最後に】

西田さんにお会いする度に、

いつも云われた事。

「スタントマンは、

若いうちしか出来ないんだから、

しっかり芝居を勉強して

俳優になれよ!」

と、

いつも心配してくださいました。

そして今、

還暦を機に、

新たなステージに入った気がしています。

残りの人生、

俳優として生きていく!

可能性大です。


齋藤應典オフィシャル・ウェブサイト

お申し込み・お問い合わせ

無限大の感謝

ここは、

グランドプリンスホテル新高輪

「飛天」です。

今日は、

谷村新司さん、

75歳の誕生日🎂

奇しくも、

この日が「お別れ会」になるとは

思ってもいませんでした。

平日にも関わらず、

多くの方が、

弔問に訪れていました。

混雑は予想していたので、

開場時刻に伺ったのですが、

すでに、

グランドプリンスホテルを、

2週する列が出来ていました。

祭壇には、

ご遺骨とお位牌があり、

思わず、

息が詰まりました。

悲しみが込み上げてきて、

胸が締め付けられました。

画像は、オリコンニュースより拝借

本当に逝ってしまったんだ……

遺影の笑顔を見ていると、

まだどこかで、

元気でいるような気がして、

いまだに信じられない…

気を取り直して

45年間の感謝をお伝えし、

ご焼香と献花を捧げました。

夢を追い続けること!

私が、

一般企業に就職して、

毎朝、

満員電車に揺られるような、

既定路線の人生を歩まなかったのは、

明らかに谷村さんの影響です。

私が13才の時に、

ラジオ番組で

谷村さんの声を聴いたのが

最初でした。

以来、

話される言葉ひとつひとつ。

多くの楽曲の歌詞からのメッセージが、

私の人生の指針でした。

たとえ砕け散っても、

これからも

心の命ずるままに、

楽しい事、やりたい事だけを、

ひたすら

やり続けていきます。

お別れの会「感謝」では、

きっと本人が出て来て、歌ってくれる!

そんな、

サプライズを期待していました。

今日は何が起ころうと、

決して泣くまいと、

心に決めていましたが………

最後は、

会場総立ちで、

チンペイさんとの

別れを惜しんでいました。

この局面で、

泣くなと言っても、

無理ですね。

私もつられて、

撃沈しました💦

男女比は、

半々くらいだったと思いますが、

私と同年代、

もしくは上の世代の男性たちも、

「谷村〜」「チンペイ」「ありがとう」と、

涙を流し、

叫び続けていました。

終わっても会場から離れたくない。

みんな帰らなかった。

ここに集まった人たち、約2000人、

そして、

来れなかった人たちも、

皆さん、同じ気持ちだと思います。

みんな同級生みたいなものですから。

本当に辛いよね〜。

ぽっかり空いた穴は、

なかなか塞がらないけれど、

この世にまだ

残された時間がある限り、

頑張って生きて行きましょうね!

燃え尽きるその時まで。

54歳の時に作られた「流星」は、

残された私たちへの遺言です。

永遠の命はないと

流星が教えてくれている

輝きながら消えてゆく

それが最後のメッセージ

先に逝くもの 残されるもの

残されるものも やがて逝くもの

生きるならひたすらに

燃え尽きるその時まで

生きていくなら振り返らずに

明日の風にまかれて行け

「流星」より

2023年12月11日

谷村新司お別れの会「感謝」にて

言葉では、

言い尽くすことのできない

無限大の感謝を込めて

アリガトー😭


齋藤應典オフィシャル・ウェブサイト

お申し込み・お問い合わせ

 

覚悟はしていました。

ここ二、三年、

私にとって大切な、

尊敬する人、憧れの人、

お世話になった人など、

心の支えになっていた方が

次々と旅立たれていきました。

ALICEが再結成されて、

2009年(60歳のアリス)

2012〜2013年(64歳のアリス)

2019〜2020年(70歳のアリス)

と、

全国ツアーがありました。

だいたい3年くらいお休み期間があって、

再始動という繰り返しでした。

コンサートツアーの度に、

アリスもファンも、

年齢が増えていきます。

「次、また会えるのは3年後か〜。

今回が、もしかしたら最後かもしれない。」

と、

コンサート会場で、

いつも内心ヒヤヒヤしながら

3人の姿を目に焼き付けていました。

でも、

昨年11月の有明アリーナ(73歳)では、

パワー全開の歌声を披露。

そして、

今年の全国ツアーを告知。

「あと10年は続けるから」

と宣言してくれたので、

ちょっと安心していました。

それが………

いつかは、

こんな日が来るだろうと、

心のどこかで覚悟はしていたけれど、

やっぱりキツいですね。

『夢』を追い続ける事の大切さ、

そして、

その難しさを教えてくれた方でした。

ありがとうございました。

ゆっくり休んでください。